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2017年5月 1日 (月)

大人もルールも、まずは疑って掛かるクセ

私の疑い深い性格はどこから来ているのだろう。
それを考えるとき思い出すのは、やはり幼少期の記憶である。

一番幼い頃の記憶は、まだ保育園にも上がる前。
家の近くの公園に父を連れて行き、鉄棒か何か出来るようになったことを見せようとした時だ。
父は、三つか四つの私がワザワザ「ええとこ」見せてやろうとしているのに、まったく興味を示さなかったばかりか、一言の褒め言葉も無かった。
逆に「なんや、わざわざ来てやったのに、それだけか」
みたいなことを言われて、呆然とする私をズルズル引っ張って連れ帰った。

そのとき幼い私は失望しただけでなく「おやとして、これでいいのか」と思った。

次に印象的なのは引越しをして、近所の保育園に入るころだ。
クチが達者で、おしゃまで素直で、しかもしっかりした子だと、ヨソの人は褒めてくれていた。
しかし、どこでその発言をしたのかは忘れたが、私の発した一言でその場が凍りつき、家に帰ってから母にボコボコにされたことがある。
平手でシバく(はたく)のは当たり前、部屋の隅に逃げ、倒れこんだ私を母はガンガン足蹴にした。
今なら立派な幼児虐待である。

私が何を言ったか、というとヨソの人に「保育所に入るの?」と聞かれたので「お母さん働かなあかんから、私を保育所いれはんねん」と正直に答えただけなのである。

いつも素直になれ、ウソをつくな、といっておいて、
正直に答えたら、なんでボコボコにされなあかんねん

私は泣きながら母を、大人を恨んだ。

この件については大人になってからは、余計に納得がいかなかった。
幼稚園と違い、保育所に入るには、父親の稼ぎだけでは家計が大変だということも、立派な入所条件となる。
あの時の私の発言は、子どもながら正しかったではないか。
役所の人に聞かれたとしても、大正解な発言である。
しかし私はボコボコにされ、足蹴にされ、やいと(お灸)まで据えられた。
ひどい話である。

大人は言ってることと、してることが違う。
親だから、大人だからといって、信用してはいけない。
三つか、四つの私は胸にそう刻み込んだ。

考えてみたら、ちょうどその頃から私には「わたし」とは違う誰かからの声が頭の中に聞こえるようになった気がする。
ちょっとした人格乖離現象かも知れないが、私はその声を頼りに生きていくことになるので、それはそれでいいとしよう。

話を戻すが、保育所でも変なことは多々あった。
私は保育所の中での「おはなしの時間」に、生徒なのに「読み手」の役割を任されていた。
幼い頃から音感がよかった私は、読み書きの能力も長けていたようで、つっかえることなく読め、登場人物を演じ分け、その上「標準語のイントネーション」で読むことが出来たのである。四歳か、五歳で。
だからこそ先生は、私に何度も任せた。
今思うと、私に本を読ませ幼児たちが食いついている間に、先生たちは他の用事が出来たので助かったのであろう。
なんかっつーと「はい、まみちゃんに本読んでもらいましょーねー」とおはなしの時間が開催された。

そんなある日、私は年長さんの上のクラスの三人組から「ちょっと来てやー」と人気の無い場所に呼び出された。
(当時、私は年長さんの下のクラスだったと思う。) 私のすぐ上のクラスには「梅ちゃん」という保育所のマドンナのような存在が居た。
私を呼び出したのは、梅ちゃんの取り巻き連中だった。
背の高いブスと、普通の女子が二人、そして梅ちゃんが居た。
梅ちゃんは来年、一年生になるのだが、すでに大人っぽい感じの子だった。
直接の関わりが無かったため、なんの用事かと思っていたら、背の高いブスにこういわれた。
「なに、イキってんねんな。ここでは梅ちゃんより目立ったらあかんねんで」
イキる。この言葉を私は人生で何度言われたことだろう。
イキる=生意気、エラそー、の他に弱いくせに意気がる、カッコつける・・・などなど要は「気に入らない」ということである。

かといって、私には「ええかっこしょう」とした覚えもないし、必要上にハシャいだ記憶もない。なんのことかと不思議に思っていたら「本読みすんの、やめーやー」と言われた。

なるほど。こいつらにとっては、マドンナであるはずの梅ちゃんより、ストーリーテラーとして目立っていた私のことが気に入らなかったのである。
「先生に頼まれたし、わたし本読むの好きやからやってるだけやけど」
「好きでもやめ、言うてんのや」普通の子がけしかけた。
「梅ちゃんが可哀相やろ」

なんのことなんだ。なんで私が先生に依頼された本読みをすることが、梅ちゃんを可哀相にしているのだ。
その論理展開の不条理さに、私はワケが分からなくなった。

私は面倒くさくなってこういった。
「くだらない。ほんなら、もうよまへんわ」
背の高いブスが言った。
「それでええんや。やっと素直になったやないか

かましわ。引いてやったんじゃ、あほボケが。
五歳の私はまた、心の中で悪態をついた。
まじで、くだらない。保育所の中での派閥争いとか、誰がだれより目立っているとか、ばかばかしいったらありゃしない。

と、私はハラワタが煮えくり返りながらも、戦線離脱した。
理不尽なクレームに戦おうともせず、自分の輝けるステージをひとつ失ったのである。

その後何度か先生に本読みを頼まれたが私は断った。
なんで?と聞かれて「読むな、という人がいるから」と言ったら、先生は「だれ?だれがそんなこと言うの?先生が言うてあげるから教えて」と突っ込んで来てくれたが、私は答えなかった。
事態が余計にややこしくなることを、子供心に悟っていたからだ。

しかし、その後私は自分の判断が正しかったことを知る。
いつも仏頂面でとっつきにくい事で有名な、保育所の園長先生まで、梅ちゃんや梅ちゃんの取り巻きにベタベタと懐かれて、まんざらでもない顔をしているのを目撃したからだ。
その幼児たちは、私を脅したときとはまったく違う女の顔をして「せぇんせぇー?」ときゃっきゃっやっていた。

恐ろしい。あの年で権力者を取り込もうとしてるのか。
私はあの時、簡単に逃げてしまったことを後悔していたが、それで良かったのだと自分を納得させた。
私の理屈が通用する相手ではないのだから。

テレビドラマなどで、キャバクラとか、クラブのお姉さんたちが、政治家や医者などに「せぇんせぇー」とやっているのを見ると、あの頃の梅ちゃんや、その取り巻きを思い出す。

親も、大人も、女の愛嬌も、信用してはいけない。
まずは疑ってかかるのが、やっぱ正解のようだ。

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